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 歴史の背景


設立の沿革

我が国は民国71年(西暦1982年)からわずか10年間で墾丁・玉山・陽明山・太魯閣・雪霸など5つの国家公園を設立しました。また、金門戦役の歴史と人文史跡を保存するため、民国84年(西暦1995年)に金門国家公園が設立されました。そして民国96年(西暦2007年)には東沙環礁国家公園が設立されました。ここは海域資源の育成を目的とした海洋型国家公園です。さらに民国98年(西暦2009年)12月には台江国家公園が設立されました。これで、台湾には合計8つの国家公園が設立し、台湾特有の景観・野生動植物などの自然資産や人文史跡の保護が期待されています。また、学術研究や環境教育及びレジャーに最適な場所として国内外の人々に、いつまでも利用されていくでしょう。

歴史の背景

戦役史跡
戦役史跡
金門は昔、「浯洲」「仙洲」と呼ばれていましたが、1387年(明洪武20年)、江夏侯周徳興が城を築き、「金城湯池のように堅固で、海門の守りを担う」として「金門城」と命名したことから、「金門」という地名が定着しました。

金門で発見された早期の人類活動の遺跡としては、五、六千年前の復国墩、貝塚遺跡がありますが、史上の文字的記載では、今から千六百余年ほど前の東晋時代まで、遡ることができます。ちょうど匈奴、鮮卑などの異民族が中原に侵入してきた乱世の時代で、多くの人が戦禍を逃れて南下し、この地にたどりついて住みついたとあります。そして、唐の時代には、陳淵という人が馬の放牧や開墾に力を尽くし、人口も徐々に増えていき、宋代には、正式に中国の版図に加えられました。南宋の儒学者朱熹もここに燕南書院を設立して、儒教の教えを宣揚したと伝えられております。元の時代になりますと、塩田が作られ、明では、海賊対策として城が建てられ、金門は海の守りの重鎮となっていきました。

人文資産
人文資産
明末の永暦年間、鄭成功は監国魯王を迎えて、金門、アモイ両島に進駐し、ここを「清に抵抗し明を回復」する基地にしました。清朝では、独立した水軍を金門において、海の防衛に備えました。1949年以降、金門は反共の最前線として戦地政務の任に当たり、1992年11月8日動員勘乱時期の終結の日まで続きました。

1995年10月18日、金門国立公園が正式に設立され、経営、管理を司る管理所も成立しました。金門地区の伝統的集落、人文資産、自然環境および戦役史跡を保護するとともに、国民にレクリエーションの場を提供し、もって研究に供することを目的とするものです。

地理位置と区域

金門は、中国大陸福建省東南部、九竜江河口の廈門(アモイ)湾沖に位置し、金門本島の面積は13425ヘクタールあります。西はアモイ外港まで約10キロメートル、東は台湾まで約277キロメートル、緯度は台湾本島の台中地区とほぼ同じです。

金門国立公園の範囲は、金門本島の中央とその西北部、西南部および東北部等の局部的地域、列嶼の環状道路とその外囲区域をカバーし、太武山区、古寧頭区、古崗区、馬山区、、列嶼区などの五つの区に分かれており、総面積は、3,780ヘクタール、金門総面積の約四分の一を占めています。

環境保全、レクリエーション、研究の目標を達成するため、本区域は現行の土地利用形態や資源特性に基づいて、国立公園法第十二条の規定により、特別景観区、史跡保存区、遊楽区、一般管制区に分けて管理し、それぞれ保護利用計画を制定して、域内の特色が長く保存できるようにしています。

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