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 伝統的な家屋

金門の歴史は長く、古くは浯洲や浯島または仙洲と呼ばれていました。史実によると、金門発展の歴史は東晋時期(西暦317年)までさかのぼります。1,600年以上の戦乱と人や文化の集まりを経て、この地は戦乱から逃れた人々や文化が集まる土地、軍事基地、東南アジア華僑の住む土地、戦争の前線といった姿から金門国家公園の設立へと移り変わっていきました。この歳月の移り変わりにおいて、軍事上の厳格な制限により開発への歩みが滞る時期がありました。金門の歴史において、民国38年(西暦1949年)から約40年間ほとんど変わっていません。これにより閩南文化が完璧に保存された場所となりました。特に集落の「空間」や「文化」は「社会」に存在する伝統と緊密に関係しているため、金門には独特の風情があふれています。

悠久の史跡と優雅な閩南伝統建築群は、金門の土地ごとに豊富な民俗風習と祭祀を生みだしました。歳月が残したその痕跡は、町や村のあらゆるところで見かけることが出来ます。金門独特の空間美学を発見し、さらには無形文化の伝承を体験できるでしょう。金門国家公園には色鮮やかな人文史跡があり、あなたの探索と体験を待っています。

古跡の美

古跡の美

金門県内には全部で44か所の古跡があり、その密度は相当高いと言えます。その中の12か所の古跡が金門国家公園エリア内にあり、住居や祠の形の建築物、石碑、牌坊(鳥居状の門)、陵墓や灯台などその種類や形は様々です。瓊林蔡氏祠堂、文台宝塔、邱良功墓園、漢影雲根碣、古龍頭振威第、瓊林一門三節坊、海印寺石門関、水頭黄氏酉堂別業、虚江嘯臥碣群および蔡攀龍墓は国定古跡で、古龍頭水尾塔、文應舉墓は県定古跡です。以下、簡単に数点説明します。

【国定古跡】

文台宝塔

金城鎮の南磐山にある文台宝塔は明洪武20年(西暦1387年)に建てられました。これは花崗岩の岩石で出来た五層六角形の実心塔です。文献によると、明洪武年間に倭寇の攻撃から守るため、江夏侯と周徳興は福建沿岸の防衛任務を命ぜられました。そして金門地区に「金門守禦千戸所」と5か所の巡検司を設置しました。また、同時に3つの石塔を建て、金門航海時の目印としました。この3つの石塔は太武山の「倒影塔」、水頭村の「矛山塔」、南磐山の「文台宝塔」であり、かつて金門三塔と呼ばれていました。

水頭黄氏酉堂別業 

水頭黄氏酉堂別業は独特な庭園と池を持つ建築物です。いわゆる別業とは本宅以外に山や水辺のそばの静かで美しい場所に建てられた邸宅や庭園のことで、別荘ともいいます。「酉堂」とは18隻の帆船を有した大船主の黄俊が清乾隆30年(西暦1765年)に建てた別荘のことです。黄俊は妻の蔡氏が亡くなってから、彼の半生は慌ただしく人の世は無常であると感じ、乾隆30年(乙酉年)に隠遁生活と子女の教育の為に建て、子孫が学識を深められるようにと願ってその名を「酉堂」としました。

酉堂別業は金門唯一のアーチ状の橋・池・亭台・楼閣などの江南庭園の造景が見られる建築です。酉堂の前には日月池があり、池の上には石板で出来たアーチ状の橋があります。元々は楕円形であった池を左右に分け、日池と月池と呼ばれていました。

海印寺・石門関

海印寺の元の名は太武巖寺と言います。太武山の2か所の最高峰の間にある寺で、太武山の石が印鑑作りといった篆刻に使用されたことから、「海印」の名がつきました。太武巖寺も同様の理由から海印寺と呼ばれています。宋の度宗咸淳年間(西暦1265-1274年)に建てられ、明の時代に改修されました。八二三砲戦の時に攻撃を受け、戦後再び建造され今の姿になりました。元々は通遠仙翁を祀っていましたが、現在は観世音菩薩を祀っています。毎年の旧正月の9日に「天公生日」を行い、信仰する人々がお参りに訪れ大変にぎわいます。浯島城隍のお祭りと並んで、金門の民間信仰における二大活動となっています。

【県定古跡】

古龍頭水尾塔
古龍頭水尾塔

金寧郷の古寧小学校の南にある古龍頭水尾塔は、清乾隆32年(西暦1767年)に建てられた、全部が花崗岩で出来た方形石塔です。

昔、古龍頭には入り江があり、満潮時にはいつも海水が双鯉湖に流れ込み、北山沿岸まで水が流れ込んでいました。大潮の際には澎湃の海水が陸地や田まで流れ込み、さらに重大な状況となっていました。清乾隆年間に古寧湾澳の潮位差が大きすぎるため、古寧頭村の老審度村荘の山や川の形状は急激に起伏し、村荘の発展に影響を及ぼしました。そのため風水師のアドバイスを受けて、現在の北山「下店」の外浜に、水を集めて財を成し水路の魔を避け、希望村民が順風満帆に過ごせることを願って、石塔を建てました。塔の位置は海と陸が交じり合う海の端に位置しているため、「水尾塔」と呼ばれています。

伝統集落の介紹

金門国家公園のなかには7つの比較的完璧に保存された伝統集落があります。これら集落内には豊富な閩南建築物・洋楼・古跡があるほか、伝統的空間配置・宗族制度・民俗風習や風水信仰など豊かな民衆文化が残されています。

 伝統集落
山后集落

山后集落は金門島の北東にあり、上・中・下の三堡に分かれています。有名な「金門民俗文化村」は中堡を指します。上堡と下堡はそれぞれ王氏と梁氏が、宋の末期から元の初期以降に開拓した集落です。そして民俗文化村のある中堡は清の末期に王国珍と王敬祥・王敬済の二世代が、日本の神戸で商人として成功し財を成した後、新たに建てたものです。18軒の宅邸中16軒は二落大厝(母屋が二つある建物)で、他の2軒は海珠堂(王一族のための学び舎)と王氏の祖廟であり、まとめて「山后十八間」と呼ばれます。

中堡は統合的に規格されて建造された集落で、清光緒2年(西暦1876年)から工事が始まり光緒26年(西暦1900年)に25年の歳月をかけて完成しました。当時、中国から招かれた技師により計画設計され、全建物の地理的位置・用途・室内空間配置・庭園・閣楼など、さらには雕刻装飾に至るまで相当丹念に建てられました。外から眺めると、棟と棟の間の燕尾(屋根の稜線の先端)は空で向かい合い、その反り上がり具合は完全に同じです。また花崗岩で作られた数々の隘門(狭い扉)も山后の居住建築群の一大特色であり、閩南伝統集落の経典と言えるでしょう。

珠山集落

金門島の西南の隅に位置し、以前は「山仔兜」と呼ばれていました。これは山に囲まれた村落という意味です。村落全体が山の谷地に位置し、水が集まるところであるため村には大小7つの沢があり、その水源はいまだ絶えていません。沢の四面の水は大きな沢へ流れ込み、「七星流穴、四水帰塘」という良い風水様式で、「遇水則発(水に出会うと良いことがある)」「聚水生財(水を集めて財を成す)」という意味を表しています。

珠山集落において比較的大規模の建物は清乾隆年間に建てられた、大社に位置する「頂三落」です。100年以上前に遠く東南アジアからやってきた薛氏一族は華僑経済の発展に尽くしただけでなく、多くの重要な建築物を建造しました。これら華僑の支援により建てられた精巧な閩南建築と洋楼は今日では貴重で珍しい人文資産です。「大夫第」もこのような時代背景のもと建てられました。その他、将軍第・頂書房・頂三落・下三落といった伝統建築もそれぞれ異なった風情があり、一見の価値があります。

欧厝集落

金門島の南西に位置します。北は金湯山、西は山髻頂に面し、南は岩山に面し、東に料羅湾を望みます。このような三面が山に囲まれ、一面が海に面した「獅頭龍尾穴」と言われる地理的位置は、冬は暖かく夏は涼しく、人が住むのに非常に適しています。

欧厝は明朝に開拓されましたが、主要な集落の建造は清朝の禁海令以降に行われ、住民が金門に戻ってから発展しました。今まで400年以上の歴史を有する欧厝集落の建築はその多くが清道光年間に建てられました。「庫池」により集落を上・下社と分けています。

水頭集落

水頭伝統集落は金門島の南西の隅に位置し、南に金水渓流が流れているため「金水」とも呼ばれています。集落の三面は海に囲まれ、南西は大小金門の間を流れる金烈水道に面し、古くから海の防衛の要地とされています。集落は山を背に海に面した、優れた地理条件にあります。

水頭の住居建築の珍しいところは、異なった時期の建築的特色と地域の風貌を有している点です。清乾隆年間に、水頭の黄氏一族は船で中国の江南一帯(杭州や錦州)と南北貿易や絹の売買を営んでいました。商売が成功した後、九棟二落大厝の建築物を建て、これは俗に「十八支樑」と呼ばれています。前後二列が完全に対称で、傾斜地の上に建てられています。家は石レンガで作られ、屋根の稜線の先端が反りあがった閩南式合院です。これは金門で現在、最も歴史ある計画型集落群であり、極めて高い文化資産価値を有しています。

南山・北山

南山と北山は双鯉湖を隔てて向かい合い、林厝と合わせて「古寧頭」と呼ばれます。この集落は主に金門島の北西に位置し、李氏を太祖とする血縁による集落です。

南山と北山の村内建築物は主に、南西を背に北東に面した方向で建てられています。北山は緩やかな傾斜地の上にあるため、坐山観水(双鯉湖)の様式に当てはまります。南西は双鯉湖と南山が向かい合い、そのためこの2つの村は「双鯉風水」と言われています。

瓊林集落

瓊林は金門島中部に位置し、太武山の西麓にある重要な戦略の拠点です。戦争の時には重要戦略拠点として、村中の家が坑道と繋がっており、「戦闘村」と呼ばれていました。

瓊林には多くの燕尾馬背式の伝統的な閩南建築が保存され、シンプルな優雅さと魅力があります。「地域に合った方法」と「現地の材料を使う」これが瓊林の住居の特色です。この地の伝統建築の大半は金門当地の花崗岩を主要な材料としています。建築群には防衛のための隘門があり、その中には井戸や畑が作られ、倭寇の攻撃に悩まされた時代の完璧な防衛システムでした。

瓊林の魅力は歴史古跡・戦役史跡・伝統建築・祖廟・風獅爺(立ち型獅子)が1つの村に集まり、人文資産が極めて豊富であることです。



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