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 戦争文化

光栄な金門の戦史-重要の戦争と砲戦

古寧頭戦役の紹介

民国38年(西暦1949年)秋、中華民国国軍は防衛のために沿海のいくつかの島に駐屯していましたが、10月17日に廈門を失いました。10月24日夜、中国人民解放軍第28軍主力の第一梯隊歩兵の3つの強化団、およびもう一方の戦闘支援部隊が、各船隻200隻に分かれ、蓮河・澳頭・大嶝から出航し、対岸の37門砲の戦力による援護のもと、金門本島へ侵攻してきました。3日間計56時間の激戦を経て、ついに27日の明け方に終結しました。この時、中国人民解放軍の約6,000人が死亡しました。この海域防衛戦は国軍と人民解放軍の交戦において、中華民国国軍最大の勝利です。中国人民解放軍は海域作戦の潮汐・風力・海流・地形に対する認識不足が露となり、装備や後方支援補給の不備により、ついに敗れたのです。これまで劣勢であった中華民国国軍は古寧頭戦役により巻き返し、台湾海峡を安定に導いたのです。
古寧頭戦役

大・二膽戦役の紹介

民国39年(西暦1950年)7月中旬、中華民国国軍が舟山・海南及び粤南諸島を放棄したため、中国人民解放軍にとっては台湾海峡南北には何も憂慮する点や障害がなくなりました。そこで再度金門に侵攻することを決定したのです。前回の古寧頭での惨敗を教訓とし、直接金門本島を侵攻せず、まず大膽と二膽島を攻撃しました。このようにして島に接近し、金門を奪おうと企てたのです。中華民国国軍は中国人民解放軍の上陸地点である大膽島の北山に戦力を準備し、狙撃班を編成して海岸に潜伏し、敵を討つ準備を行いました。そして7月26日18時、中国人民解放軍が上陸しようとしたところを、我が軍は一気に猛攻撃を行ったのです。戦死したもの以外はみな捕え、捕虜としました。二膽での戦闘は前後1時間余りで、国軍の全面的勝利となりました。7月27日12時、中国人民解放軍は再度5隻の木船を大膽に向け増援しましたが、我が軍はすぐに砲火により阻撃しました。中国人民解放軍は廈門湾へあたふたと逃げ帰り、大・二膽戦闘はここに終結したのです。

大・二膽戦役

「九三」砲戦の紹介

民国43年(西暦1954年)秋、東南アジア会議の開催を前にして中国共産党は会議の決定に影響を与え、東南アジア各国とアメリカの同盟を阻止するために、金門奇襲を計画し、国際社会に威力を見せつけようとしました。中国人民解放軍は9月3日突然、水頭海にある中華民国国軍の軍艦及び本島の軍事要地に対して、猛烈な奇襲砲火を浴びせたのです。連続3日間の九三砲戦の後、金門と中国の各地で長期に渡る砲戦が開始されました。金門では、軍隊と民衆の砲火のもとでの生活は長期に渡りました。そこで民衆は自衛戦闘体系の構築を開始し、神聖な郷土を守るため毎日戦況に備えるようになりました。

「八二三」砲戦の紹介

民国47年(西暦1958年)、中国人民解放軍は東南海沿岸に軍事空港を次々と完成させ、鷹廈鉄路も開通させ、運輸が便利になり派兵も頻繁となりました。これにより兵力の結集を計画し、海軍・空軍を支援しました。そして8月23日午後6時30分、廈門・大嶝・小嶝・深江・蓮河・囲頭などから一斉に金門へ向けて集中砲撃を開始したのです。わずか2時間の間で受けた砲弾は57,533発、空前の激しい砲戦でした。絶え間ない砲戦は10月5日まで続き、合計で受けた砲弾は474,910発にもなりました。これが歴史に残る「八二三砲戦 」です。

八二三砲戦

この後中国人民解放軍は空軍の装備が簡易で、幾度となく我が軍に打ち破れていることから、いやがらせによる心理戦を採用しました。10月6日に宣布した「停戦1週間」が終了した後、また「停戦2週間」を宣布し、その後また「1日戦争、2日停戦」などを行いました。その後民国67年(西暦1978年)12月15日、中国はアメリカと国交を樹立した後、やっと砲撃を停止しました。20年の長きにわたる人類史上、最も長い火砲による戦争でした。

火砲による戦争 砲撃を停止 

六一七砲戦の紹介

民国49年(西暦年1960年)、中国はアメリカのアイゼンハワー大統領が6月18日に我が国を訪問することに対する威嚇として、6月17日午後、50分あまりもの間、金門島に向かって31,347発もの砲撃を行いました。このときの毎分の平均発射数は約627発でした。18日午後には、45分間でまたしても54,618発の砲撃、19日午前には3回目の砲撃88,789発を行いました。連続3日間の砲撃で金門島群島が受けた砲弾は174,754発にもなりました。


金門における中華民国国軍の戦場運営について

民国38年(西暦1949年)国民政府が東南海沿岸から離島へ退却した際、その地はどこもかしこも砂埃が舞いあがり、貧しい不毛の地でした。利用できる資源はごくわずかで、敵がいつ海を渡って攻撃してくるかわからない状況のもと、初期に駐留した軍の生活は快適なものではなく、さらにやらなければならない作業がたくさんありました。まず、第一線の海岸に身を隠すための塹壕を掘りました。塹壕には一人用・二人用・多人数用がありました。射撃範囲を広めるため前方の雑樹林を切らねばならず、また切り倒した木の枝や木材で覆い、風雨を避け、身を隠しました。また、命令の伝言や補給品の運送のために、各塹壕を結ぶトンネルを掘り、さらには弾薬や食糧保存のために丸太や角材で堅固な陣地を建てて防衛工事を強化しました。上方及び両側は、当初は簡易の覆いだけでしたが、その後丸い石や土石を使用して砲撃から身を守りました。

地形・敵情・兵力の運用・戦力支援等の要因を考慮し、また拠点の種類や任務特性もそれぞれ異なるため、以下のように分類されていました。:

拠点の種類

(1) 班の拠点:

班は9、10名の士兵により組織され、彼らの装備は小銃・自動小銃・榴弾槍でした。地区の装備にはトムソンサブマシンガン・四式自動小銃・A1水冷式機関銃・A4空気冷却式機関銃・A6空気冷却式機関銃がありました。

(2) 小隊の拠点:

小隊は3つの歩兵班と1つの機関銃班から組織され、通常は1から3つの班が各班の拠点に置かれました。小隊長は小隊における指揮・観測・連絡及び戦力支援のキーポイント拠点に駐留し、全小隊を一拠点に集中して駐在させることもありました。小隊の拠点には通常、四管五零重機関銃・七五口径無反動砲・五七戦車・三インチ砲・五インチ砲・戦車砲等といった複数の人間で操作する大型武器を配備しました。

防衛工事

防衛用の武器としては掩体(敵弾から味方の射手を守るための設備)が必要です。掩体には小銃掩体・機関銃掩体及び各砲撃掩体があります。作戦開始時、毒ガスや火炎弾による攻撃に備え、防火門や防毒門が設置されました。当然、敵から隠す必要があり、掩体の外観には植栽が施され、偽装用の網・偽の陣地・偽の銃砲が設置されました。このほか、野戦によりトンネルが戦火にさらされたため、戦備の需要に応じるために坑道式トンネルや通信回線・トランシーバー・敏感なセンサー器材の設置が強化されました。掩体周辺には、軌條砦(列車のレールを鋭い棒状に切ったものをコンクリートの土台へ差し込み、海岸に一列に並べたもの)・ガラスを埋め込んだ岩といった有刺鉄線や侵攻を阻止するためのものが設置されました。敵が接近する可能性のある道には、地雷や武器を設置しました。敵に煙幕で攻撃したり濃霧や暗闇で視界が悪いときに地雷で攻撃したりして、味方の安全をより強化しました。

生活設備

照明:
初期の灯火管制は厳格に執行されました。わずかな明かりでも夜間には目立つからです。したがって拠点内には電灯はなく、通常はガス灯・灯油ランプ・ロウソクを使用し、全ての窓やドアに明かりが漏れるのを防ぐ覆いがかけられました。

廚房:
通常は寝室から離れたところで、水汲みや洗濯に便利なように独立した小屋が設置され、すべての兵士は食事作りが出来ました。

飲用水:
水源は重大な問題です。ごく少数の重要拠点に給水車が定時に給水に来る以外に、その他の拠点は飲用水の問題を解決せねばなりませんでした。近くに井戸や水源があれば、直接行って水を汲むのが当然便利ですが、大多数の拠点は雨水や地下水の採掘に頼るほかありませんでした。

軍営:
大型の小隊拠点に設置され、ギターやハーモニカなど、一般の文化書籍や器材が供給されました。

その他

養豚・野菜作り:
通常10人分の残飯で2匹の豚を飼うことが出来ました。し尿は野菜作りの肥料とし、食糧問題を改善しました。

軍用犬:
警備総本部で養い、訓練されたジャーマンシェパードで、兵士に兵籍資料カードがあるように軍用犬にも犬籍資料カードがありました。専門家が飼育や訓練を行い、重要拠点に配置され、上級官が月毎に食糧費を支払いました。

警備犬:
軍用犬が配置されていない拠点には1、2匹の警備犬がいました。俗に土狗(台湾犬)と呼ばれ、体型以外にも警備の敏捷性において軍用犬の基準に満たない犬を使い、中華民国国軍の警備強化に用いました。

戦場の歴史的建築物と遺跡ガイド:

金門本島の戦場遺跡:

昔を今に伝える-古寧頭戦史館

悲しみの過去-古寧頭断崖

世の人が敬う-伯玉亭と胡璉将軍記念館

戦士の英霊-太武山公墓と忠烈祠

高尚な品格と固い節操-記念李良栄石刻

永遠の忠誠-李光前将軍廟と殉難記念碑

砲火の跡-北山村古洋館

決勝の地-湖南高地

過去への巡礼-古寧頭戦場

神業の出来栄え-中央坑道

困難な工程-翟山坑道

支援作戦-瓊林戦闘坑道

故郷を守った歴史の記録-瓊林民防館

輝く歴史-八二三戦争勝利記念碑

地底のビル-成功坑道

金門の音-塔后ラジオ局坑道

金東に響く威信-獅山砲陣地

自力の自衛-雄獅堡

地下要塞-擎天庁

雄大な気勢-毋忘在莒

金門の精神-莒光楼

戦史の記憶-八二三戦史館

偉人の教え-俞大維記念館

偉人への敬意-蒋経国先生記念館

初めての観測所-馬山観測所

正義のための犠牲-無愧亭

敵を克服した-軌條砦

先制攻撃-反空降堡

兵士の勝利-反空降樁

海上の孤独な島-建功嶼拠点

国威を高めた-大胆島心戦壁

烈嶼地区の戦場遺跡:

後方で戦略を立てた-将軍堡

独立固守-勇士堡

鉄壁-列嶼貴山拠点

洞窟の中の乾坤-九宮坑道

響く天の声-湖井頭戦史館

勇士の教え-八達楼子

精神の手本-烈嶼国光文康センター

戦争記念-八二三砲戦勝利記念碑



       




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